HIMAWARI ジャケ今回は、来月2月10日に新しいアルバム「ponposo」のリリースが決定しました、ミュージシャンの「HIMAWARI」」のお二人にお話をおうかがいしたいと思います。(右がジャケット画像。クリックで拡大します)
お二方の音楽は「100%ピュアエレクトロニックミュージックとデジタル映像のユニット」というライブなスタイル。ファッションやグラフィック業界からの支持も多く、「タイムズ」やラルフローレンの新作発表会への起用、アメリカでの大きなイベントに参加するなど幅広く活動されていました。2004年よりその舞台を日本に移し、東京・大阪などでパフォーマンスを展開しています。



管理人: ●結成に至るまではどんな感じだったのでしょうか。

レナ:
ニューヨークの矢野顕子さんのコンサートで会って、「HIMAWARI」は98年に始めています。
私はニューヨークに渡ったばかり、彼は音大を卒業してニューヨークに来たばかりでした。「音楽の知識を持った人」と「やりたいけど知識のない人」という二人でした。

タケシ:
レナと音楽や物づくりの興味が合っていて、実際にやるようになったんですね。
実験映像を作ることを楽しんでいました。「ライブを演れるかも」というタイミングがあり、「HIMAWARI」になりました。

作った音楽に作った映像がシンクロしている、今と同じスタイルでした。自分たちの世界観を形にするのが大儀だから、映像も一部分なんですよね。それは一貫して、一回も変えませんでした。
最初レナはキーボードを弾くだけだったんですが、「ステージで何を表現するか」という原点に還った時に歌を唱うようになった。

レナ:
言葉、詩は、子供の頃から書いていたので、慣れ親しんでいて。言葉で伝えるのは重要なんです。その気持ちが強かったですね。私たちアメリカでは外国人だから、おぼつかないところもすごくあったし、第二言語というのも抵抗がありましたが、自分にとってチャレンジになることをやってみたかった。ですから単純な歌詞でしたが、その当時は辞書を持って歩いたり、努力はすごくしました。
それで日本語でもまったく同じだな、って。自分が思っていることを比喩するとか、文法さえあってれば日本語と同じようにやればいいって感じてから、パチン!と抜けた。

一枚目のアルバムがそんなこんなでできたのは?

タケシ:
2001年ですね。本当に歌を唱うことの再確認がありました。

●で、2枚目が出来たという訳ですね?

レナ:

はい。もっと真剣にやりたい、やるべきだ、と。一枚目のアルバムから4年経ってるので、もっと早く出しているべきものがあるのかもしれないけれど、時間が経ったことは巻き戻せない。できる限り練り直し、新しい曲をつくったりして、今回のアルバムになりました。

タケシ:
日本に帰ってきたことで現実的に進んだところが、いっぱいあります。日本のオーディエンスは客観的にシビアな意見をくれるんだな、って気付いて、ここでもらえる力で何を表現するかを形にしたっていうところがあるんですね。それで僕はとてもスムーズに作業ができた。自分達の中でゴーサインが出せる方向性が見えた。

レナ:
今回のアルバムのコンセプトは、手の凝ったというか、手間をかけるとか、内部にこだわるということに重視したものを、と。ジャケットも、音もそういうふうに扱いました。

このアルバムのタイトルの意味は?

タケシ:
「ポンポーゾ」と読みます、イタリア語です。会話で使う言葉かどうかはわかりませんが、オペラなどの楽曲の中で「ここ一番派手に」「大風呂敷を広げるように」「豪華絢爛に」という感じの音楽表現として楽譜に記載される音楽表記号です。

僕らみたいなアングラなミュージシャンが生意気を言う、自分たちの世界観を大きく見せてやろうということでは、いい言葉だなと思って。
今回こだわったのは、餅は餅屋というか、それぞれの分野でスキルがある人を最大限に使いたいという意識でした。
大きなレコード会社のイチオシミュージシャンではないので、関わっている人間の数は少ないけれど、それぞれがフル稼働するような状態で、ひとりひとりの熱量は込めたかった。印刷も細かすぎて無理と言われたものが出来上がったりして(笑)、情熱で人は動いてくれるんだな、って感じました。

レナ:
CDのジャケットに関しては発表前ら、ポルトガルの雑誌で特集を組むことになったり・・・今回に関してはいい化学反応が起きています。曲に関しても、ジャケの絵の通りに丁寧に手間を掛けました。聴いてくださった方から「浮遊感がある」という感想をいただきますが、これは作った側でも持っていた共通のキーワード。それを実現できたかなっていう感じはしますね。

タケシ:
コンピューターが鉛筆だとしたら、持つための努力や、使いこなせるようになるまでは早いほうがいいと思うんです。そしてその鉛筆で作品作りに時間をかけたほうがいい。鉛筆を持てるようになったらすぐに作品が書ける、と勘違いするのはよくないと思うんですよね。

レナ:
どれだけ作品作りの工程で手間をかけたか、というのはミュージシャンが思っているよりも、オーディエンスが気付く。それはすごく感じます。
例えばゴッホの向日葵をよく見たら、黄色なのに灰色とか青色とかいろいろ重なって黄色なんですよね。そこの作って行く過程っていうのか、そういうのがよくわかる。

今、どんなクリエイターの人でも道具に翻弄されることが多いと思うんですけれど、この世にダ・ヴィンチがいたら全然迷わないと思うんです。コンピューターがない時代から、コンピューターでやることをやっている人だから。
コンピューターもすべて人間が作っているものだから、それを宇宙人が作らない限りは主人を越すっていうことはないと思うんだけれど、全てのことにおいて、やればやるほどわかるっていうか、感じ取っていくことがある。

「自然が好きなのにどうしてクラシックをやらないんですか」ってよく聞かれたんですね。ずっとクラシックをやってきていて迷いがあったんですけれど、やっぱり私たちは現代に生きているわけで、芸術というのは時代の生きたしるし、時代の象徴。だからそれ相応の、その時の必然で生まれた楽器を取り入れるべき、と思ってるんですね。
ヴァイオリンもその時代には最先端で、ピアノが生まれて・・・という移り変わりがあったはずなんですよね。

タケシ:
名前で想像がつく楽器、例えばヴァイオリンっていうと、かしこまって長い黒いスカートをはいた人が、ドラムっていったらロックっぽいお兄ちゃんが汗かいて叩いてたり、和太鼓っていうとねじり鉢巻で、っていうね。先進国のほとんどの人は大体が同じ印象を持っている。コンピューターはそれがない。道具レベルなんですね。どうにでもカスタマイズできてしまう。

その中で、「どんな音楽を作ろうか」と思った時に、純粋にね、「HIMAWARI」でやる音として楽器の音やそれを奏でている人のスタイルがまったく浮かんでこないんです。自分の感性の音のイメージが鋭い人は、楽器を選ぶ前にコンピューターで再現する努力をすると思うんですよね。
僕は元々ドラマーなんですが、ドラマーとしてのアイデアが入っているから、聴いた人から「ああ、やっぱりドラマーなんだね」って言われます。ドラマーとしての経験や知識を置き換えているってことはないんです。
「自分で叩いたほうが早い」のかもしれないけれども、インスピレーションが先。それもレナの頭に浮かんだものです。レナの歌詞の世界で浮かんだメロディ、ハーモニーの世界、そのふわ〜っとしたものを、レナがそのまんま僕に渡すんです。ピアノとかで、こんな音、あんな音っていいながら。

レナ:
全然はじめは「は?」っていう感じ(笑)。

タケシ:
これが言葉ですら、出てこなくて。言葉で明確に出てくるんなら、作家になればいいんですよ。そうじゃないから、音楽になる。

翻訳ということでしょうか。

タケシ:
解析というか(笑)。彼女がピアノひきながら歌っているのはこれかな?あれかな?っていいながら。

レナ:
「それはオーロラなんだから」とか(笑)

タケシ:
「クジラが空を飛んでて・・」とか(笑)。不思議と何年かやっているうちにレナの世界観が見えてくるようになってくるんですね。今回のアルバムはまさに彼女の世界観が音として作品になった、という手ごたえがあります。

レナ:
私も細かく関わるようにして。彼(タケシさん)はもともとインストの世界から来てるから、歌詞に興味がなかったんですね。私の中のストーリーだったり知識とか、写真を見せて解説していって、つめていきました。そういう手順を大切にしました。
私が曲を作る時って「降ろす」という感じなんですが、大体映像が見えています。今回のCDは全体に渡って1本の糸からレースが出来る世界、繊細でいて豪華な・・・というものが頭の中にあって。アンティークレースでしょ、繭でしょ、ってひとつずつ過程を作っていって。

●曲についての思い出やコンセプトなど、ありますか?

タケシ:
どの曲もいろんな思い入れがありますが、「pearl」は今回入っている曲の方向性を決めた、一番古い曲。

レナ:
歌詞作りの大きなターンになった曲です。「水晶の傷が虹になり、それが価値となるのは人間の経験と一緒、自然とのシンクロについて、皆本当はその価値をわかっている」ということを曲にしたものですね。
全般的にいろんなタイプの音楽が入っていますが、すべての気持ちを入れて圧縮して、一曲にしたのが10曲目の「wheel of life」です。
wheel of life」は自分が生きている地球だけじゃないステージがあって、死んでからの世界もある。「輪廻転生」というタイトルにもあるテーマを形にしました。ライブではかなり圧倒的なパワーがあるらしく、オーディエンスは「ぐるぐる回される感じがする」と皆言ってます。(笑)。皆さんにも是非体験していただきたいです。

映像に音楽というプロモーションビデオ集みたいなのは出さないのですか?

タケシ:

ライブで当ててる映像、歌ってるレナ、コンピューターを制御している僕とのパッケージングをひとつのものとして観て欲しいというのが僕らの望みではあります。映像作品は是非を出したいです。

●他の曲についてはどうですか?一曲目はライブでも一曲目に使っていますよね。

レナ:
この「pulse」という曲にはHopeっていう言葉は一回も出てこないんだけれど、「この世で希望ほど美しいものはない」というメッセージとしての「希望」が隠されているんです。
今ね、私がすごく好きって思える音楽って少ないような気がして。90年代以降、音楽がリアリスティックになりすぎて、希望がない曲が多くなった。「悲しみ共有型」、「脱力系」という表現とか。趣味趣向でいろいろだけど、自分があてはまる音楽がない。力が上に上に向かうものが好きで、人の心を潤わせる音楽をやりたいんです。

タケシ:
見る側のテンションが上向きになる、というのをやりたいですね(笑)。
ヒーリング・ミュージックみのように自分のテンポで聴いてくださいっていうのでもなく、「わ〜今日のライブよかったよね、焼肉食って帰るか」っていうような中から熱くなるもの(笑)。こっちもエネルギーを出してるんだけれど、聴く側も自分のエネルギーを確認するような・・・聴いた人がエネルギーもらった、湧いたっていう気分になれるようなのができないかなって思うんですよね。

レナ:
感動って後からでも覚えてるもので、じわじわくると。音楽は眼に見えない分自分の感動を再確認させてくれる。

タケシ:
昔のロックとかフォークの人って自分の感情をストレートにぶちまけて、そこに感動した人と強くつながるということを自由奔放にしていましたよね。とりあえずやり切っていて、みんなにとってかっこいいというわけじゃない、みたいなね。僕らだって「そんな大げさな」「うっとおしいよ」みたいな顔されるときもあるし。それをやり通していい反応がくればいいかな(笑)。

このCDを聴いて下さる方へのメッセージをどうぞ。

タケシ:
純粋に聴いてほしい。スポーツ的なエネルギーを発散する音楽、恋愛の意識を共有する音楽ではないです。

レナ:
誰にでも置き換えられる言葉でメッセージが隠されていて、いろんな人がいろんな風にとってもらって大丈夫というようなCDだと思います。
「思い」と音楽は近いですよね。賛美歌やお祈り、自分を落ち着かせるためお経を読むとかと音楽は近くて、いろんな人から「こういうときにこの曲を聴いています」みたいな感想を聞くと、自分なりに解釈して聞いてくれるのがありがたいな、と思っています。

タケシ:
曲の内容の部分では今レナが言ったみたいなことがあるんですけれど、僕はCDという形で手にとってもらいたいという意識もある。
今の最先端的な、インターネット配信で買えるということも結構充実させる予定です。今のライフスタイルっぽい、若い人が腕につけて聴く、といった対応も僕は肯定です。
昔カセットテープのウォークマンが出た時に、レコードを聞いている音楽マニアのおじさんたちは、「音悪いカセット持ち歩きやがって」って言ったと思うんですけれど、その流れは文化ですから。僕達も自分の好きな曲集めてミックステープを作りましたよね。今はコンピューターでデータを集めて首からしょって聴いてるわけです。
見るに耐えるジャケットにもしたし、ネット配信にも対応したい。両方ちゃんとしたいですよね。だからそういう意味で、どっちからのフォーマットでも触れてもらえると嬉しい。

●了解いたしました!その心づもりで聴いてみます(笑)。


お二人のお話は、まだまだ続いています。
ものづくりをする人の意見として、音楽や芸術に対して、とても面白いお話が聴けましたので、また後日、第二弾としてアップしたいと思っています。どうぞお楽しみに!

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