vol.2
前回に引き続きまして、今回は「HIMAWARI」のお二人に、音づくり、ものづくりについてのことをお聞きしてみたいと思います。音について、私が気になっていることを、アーティストの彼らにぶつけてみました。



管理人: ●まずは、コンピューターを使うことについてなんですが。

タケシ:
コンピューターは一番進化した道具だと思いますが、一番まともに音が出ない楽器ともいえます。ピアノもタイコ系も、叩けば音がでますよね。コンピューターはプログラミングを施さない限り音がでない。何にでもなる機械だけれど、すぐに音が出るわけではないぶきっちょな部分もあるから・・・それでも、僕もレナもいろんな違う音楽や楽器に触れたところでコンピューターに到達しています。

レナ:
人が最高のテクノロジーを使ってやりたいことは、「人間をつくること」と思うんですが、その発展途中にコンピューターがいる。人間と似ているじゃないですか。ハードディスクに知識を入れて、フォルダを作って分類して・・・自然や人間の有り様を応用してできています。コンピューターに限らず、歌詞や曲をつくることについて純粋に考えると、そこに回帰します。それが自分のものづくりの中心なのかな、って思う。

最先端なものを使っているのに、生命エネルギーを感じるんですよね。

タケシ:
HIMAWARIの音には機械的な音の中で有機的なものとか、木々みたいなのを感じる」という感想をいただいたことがあります。自然の音のサンプルが入っているわけではないんだけれど。

レナ:
自分が思ってもみなかったことなんだけれど、言われて嬉しい言葉だった。

木を叩いて出る音ではないんだけれど、断面を切って細胞の音を聴いたらこんな感じ、っていうような。細胞のレベルまで見ると、すごく規則正しいじゃないですか。それを感じますよね。

タケシ:
細かい世界の中にまた細かい世界がわぁーっと広がっていくような、そういう世界でね。

レナ:
多分、ミクロとマクロは同じ世界なんだと思う。私たちはどちらにも属さないのだろうけれど。なんかそういう、宇宙と、一番小さい細胞とかに、同じような関係があると思う。

手動で映像を作っていたころはコンピューターはなかったんですか?

タケシ:
ハードウェア機器(影像編集機など)を中心に。当時は大掛かりでしたね。機材がいっぱいで。

レナ:
HIMAWARI」をやりはじめた頃にテクノロジーも上がってきて、どんどん機材が安価になってきました。それがあるよね。一番の理由としてはね。

タケシ:
時代とともに、というのはあると思います。道具だから絶対、訓練期間が必要なんですよ。コンピューターを中心とした音楽や映像の製作も、そろそろ生まれて10年。やっと皆が使い慣れてきた。そういう熟す時間がどうしても要るんですよ。今の子たちっていうのは高校生くらいからいじれるだろうから、大学卒業の頃には10年くらいのキャリアになってるんですよね。

レナ:
ほんと、鉛筆みたいに使える道具になってきたっていうかね。無機的な感覚でだけじゃなく使える時期に入ってきたんじゃないかと。

●グラフィックに対する考えはいかがですか?

タケシ:
機械の音楽の人だと、ドット画とか、積み木的な四角い感じの映像が浮かびやすい。僕もそういうのは好きなんですが、逆にそうじゃない部分を強く持っている人だと、「繭」のイメージといえば、「森の中で毛糸のセーター着ている女性が立ってるジャケ」っていうふうになっちゃうんですよ。それを否定するつもりはないんですが、どっちかなんですよね。
僕らは今回のジャケみたいに、ひとつひとつの有機的なラインが重なって、ひとつになっているというのが好きなんです。

これをイラストレーターで書くとなると大変な作業ですよね。

タケシ:
レイヤーは何百も重なっています。その中にもたくさんのパーツがあります。今回のデザイナー・バージリオは、常日頃からパターンを山のように描いていて、その時に応じて重ねていっています。仕事ではシャネルの仕事なども手がけている方なんですが、このスタイルが得意な人なんですね。
「こんなデザインをしてくれ」って一切言ってないんですよ。「豪華絢爛」「アンティークレース」とか、キーワードだけ渡して。後は楽曲、彼なりの楽曲への理解も欲していましたので。
最初はもっと機械的なデザインも持ってきてくれたんですが、「この機械的な直線はいらない、この有機的な曲線の世界の深みで行きたい」っていう話を2,3回して、パチンときたよね。

レナ:
面白いことに、デザイナーとかグラフィック系の人は、音楽好きで詳しい人が多いんです。。

タケシ:
音から読める力がすごい。

レナ:
すごく敏感で自分の好きなものがわかっているし、どんどんそれを研ぎ澄ましていく。音楽の経験をもっている人も多い。でもその逆の、ミュージシャンで絵の世界に突っ込んでいく人ってあまりにも少ない。こんなかっこいい曲作っているのに、ジャケがいまいち、というのがあるんですよね。そのバランスいい人って数えるくらいしかいないかなって私は思っています。

今回はたまたまいい化学反応でした。彼も私たちが音楽をつくるのに似た方法でデザインをやっている人だから、ドローイングも出来る人じゃないかなと私は踏んでいます。
私の歌詞も多分そうなんだと思うんだけれど、詩は比喩あってのものじゃないかなと。日本の川柳もそう。ひとつひねりを入れるというか、直接的じゃないけど本質のものをそれ以上に表現する。歌詞も映像もそういうふうにやりたいのね。ジャーナリズムやリアリズムでは、芸術じゃなくなってしまう。

タケシ:
想像の余地というか、このジャケを見て「わ〜これなんだろう」って思ってくれて正解ですよね。
ま、生理的に嫌い、っていう人もいると思うんだけれど。もらった情報から何か考えたいという人に。徹底的に自分の好きな世界観を形にするんだけれど、それが「そのまま」じゃない、というふうなね。

二人のそこの微妙な好みが合っているのがすごいですよね。

レナ:
私は実家がずっと板金屋で、鉄を扱っている音の中で育ったのね。だからこのジャンルにきたのは必然だったかもって思うかな。
鉄を丸めるとか、有機的なものを作る時ってすごい音を出して火花散らして作るんですね。
何かの時にそれに気付いて、なんでこんなうるさい音でこんな柔らかいラインのものができあがるんだろうって不思議だった。直線的に切る時は音もそんなにしなくて、一瞬で終わる。カンカンってやって終わり、だから激しい音からは鋭角的なものができるという記憶がある。

自然が好きで有機的なものが表現したいって思っているのに、なんでこんなに耳をつんざく音にきちゃったんだろうって思った時に、もしかしてそういうことだったのかな、と。
逆に言うとね、鋭角的なものほど有機的なものを引き立てて表現するのに適しているものはないのかもしれない。それに人って有る程度ノイズって欲しているんですよね。おなかにいる時から心音っていうノイズがある。あと、人間には汚れた音を好む傾向があるらしいよね。

タケシ:
純粋な音っていうのはすごく少なくて、何かしら音は違う反響がまざっていて一個の音になっていて。

レナ:
ヴァイオリンもきれいな音と思っているけれど、弦をこすってる音(ノイズ)だからね。
教育の世界や年配の方やなんかはよくて回顧主義になってクラシック音楽、なんていうけれどもクラシックっていうのは時代と共に動いているんだよね。言葉の意味としては「昔のもの」って事だし。。

美輪明宏さんが「美しい心のためにはクラシックを」とおっしゃっていることについて、友人が「どうしてもノイズ系の音楽が好き。そんな自分は駄目なんだろうか」って言っています。私たちはとても美輪さんのことが好きなので(笑)・・・どう思いますか?

タケシ:
美輪さんはテレビで「ヘヴィメタは駄目」って言ってますよね。アドレナリンというか、暴力的なものからの快楽、スポーツでの発散で終わってしまうだけじゃつまらない、っていう観点から言っていると思うんですよね。
音って結局見えないものなので、想像の世界ですよね。クラシック聴いて「?」って思う人は、純粋にそこから想像するものが少ない。美輪さんが言いたかったことは、クラシックを聞いてその音のイメージを想像するくらい、脳を鍛える余裕を持ちなさいっていうことだと思うんですよね。クラシックも楽しめるくらい、脳に栄養を与えてあげるってこと。
若い人は若い人で、イマジネーションをノイズとかロックとかの音楽で鍛えている。年配の方が「ロックはだめ」っていうのは、逆にロックで脳を鍛えてないからだと思うんですよね。美輪さんが「クラシック」と言っているのは、ご自身がクラシックで脳を鍛えたからだと思っています。

レナ:
音ってその人の記憶、時代、いろんなものを反映して感じるものだから・・・。いろんな曲が聴けると、幅が広がるのは確か。とりあえずアンチにはならないでおこうって思います。美輪さんは私も大好きなんだけど音楽をやるものとして、生きている間はいろいろ聞きたいっていうのはある。趣味嗜好はいろいろだと思うけど

タケシ:
美輪さんの言葉を借りるとすれば、暴力的な音楽もノイズも、必然で生まれている。過激なストレス発散で生まれてきた、狂信的なものかもしれないけれど、溢れるべくして溢れている。

レナ:
面白いのは音楽にはたくさんの要素が含まれている。芸術的な部分、スポーツ的な部分、演奏者的な部分。ロックで踊りに行く人はスポーツ的な部分が強いと思うんですよね。

タケシ:
野球道具そろえるより、服だけ買ってクラブ行くほうがスポーツジムより安く済むんですよ。
ハードロック好きのおにいちゃんはハーレー・ダヴィッドソンが好きですが、ハードロックという音楽はそんなに早いテンポ感ではないんです。ハーレー・ダヴィッドソンのエンジンのテンポが近い。すごい早いバイクが好きな人っていうのは、また違う音楽が好きなんですよ。必ずそういうリンクがあるんです。僕らみたいな音楽やる人が好きなノイズは、飛行機とか、建設機器とか。音とスピード感のリンクって必ずあるんですね。
ただ、本当に芸術家として到達している人の話を聴くと、そのスピード感を持ってるんですね。「150km/時間の高速の感覚で描く」って言うんですよ。絵画などの分野で生活が成り立つ人って見えているんですね。スピード感がやっていることとばちっとはまってることが大事で。
音楽は比較的わかりやすくて、ジェットコースターのがたがたっていう音と同じ。ジェットコースターから実際にもらう刺激を音楽で置き換えられるかどうか、ぐらいなんですよ。だから彫刻家とか絵描きの人が「音楽って芸術じゃないよ」というのは、ある意味理解できます。彼らから観ると確かにそんなに遠くないし、難しくない。

日比野克彦さんが、イラストでライブ活動をされていたことを思い出します。

レナ:
やっぱり視覚的、聴覚的な差というのがあるかもしれないよね。

タケシ:
そうだよね、耳が先だしね。生まれてくる前からだし。母体の体調を音や振動で感じて子供は反応する。身体じゅうをセンサーにして、耳の三半規管で羊水の中でバランスをとって頑張って、そんな頃から「イエス・ノー」、「ヤバイ!」もしくは「ハッピーだ」くらいは音や振動でわかるわけです。それでやっと出てきてもまだ目は見えない。三半規管のタンクは何ヶ月か先にもう出来ているんですよね。キャリアが目より耳のほうが幾分か長い。

音の聞き分けはすっごい得意でした。楽譜が駄目で。

タケシ+レナ:
私たちもそうですよ。

レナ:
あまり楽譜になれちゃうと困るんですけれどね。楽譜がないと駄目っていうのは、私からみてある種の障害ですよ。

タケシ:
音楽教育とかで、それが邪魔になってる部分もありますよね。
楽譜は経済というか政治的な後付けのものではないかと。これはいつも音大の教授と論争しているんですけど(笑)。音楽作品を残してお金にするために書いた、もしくは生徒をとって教える際に必要だったという必然性から生まれているものだと思っています。言葉みたいに必然で生まれたものとは違うと思います。
でも目の動体視力とか、色を見分ける力とかいろいろ差があるんですけれど、耳の力のレベルって皆一緒でかなり高い。バランスが悪いとか、事故にあって障害が残っていて、というのは別ですけれど、それ以外の場合、音を聞き分けることには差がないんですよ。

音痴は?

タケシ:
簡単です。音を自分の中で処理した後、出す能力がないんです。
字がへたくそなのと同じですよね。耳が健常だったら音痴絶対に治ります。運動能力ですね、楽器演奏もそうです。

なるほど!(笑)じゃあ運動音痴だと・・・(笑)キリがないですね。今回はこのあたりにしておきましょう、面白いお話をたくさん、どうもありがとうございました。

タケシ+レナ:
こちらこそ。ありがとうございました。


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